発熱セリ
学期末、残2日ニシテ発熱セリ。
週末マデノ全テノ予定ヲキャンセル。
脚アタタマラズ血ノ巡リ悪ケレバ懐炉ヲバ腹ニアテ漸ク落チ着キタリ。
寒キハ身体ニ不良哉。
働キ過ギタルモ亦同ジ也。
学期末、残2日ニシテ発熱セリ。
週末マデノ全テノ予定ヲキャンセル。
脚アタタマラズ血ノ巡リ悪ケレバ懐炉ヲバ腹ニアテ漸ク落チ着キタリ。
寒キハ身体ニ不良哉。
働キ過ギタルモ亦同ジ也。
ちょっと悪態をつくので、嫌な方は読み飛ばしてください。
まず、ある日担当の部屋に行ったら、机が片付けられていた。支援の必要な子が「もういい」と言ったからだと担任は言うたけど、あの机は、その子の机ではなく、支援員の机。勝手に片付けたらあかんやろ。他の部屋だって、個別対応したりマル付けしたりするのもオルガンの上やったり。
次に、朝、常勤の人たちとは違う時間に出勤するのだが、出入り口に何度も鍵がかかったまま。その鍵は持っていない。そこから靴をぶら下げて入り、履き替える。雨に濡れている出入り口で、一度ドアが風に煽られて閉まってきて、頭頂部を強打した。流石に腹が立って、「何とかならんの」と声を荒げたので、鍵は開いているようになったが。
運動会、卒業式など、全校的に対応しなければならない行事や、〇〇委員会の遊び計画とか、スペシャルな掃除デーとか、支援員が先回りして不安を感じている子たちにアプローチできることはたくさんある。でも、その提案文書、我々に届いてないで。何をどうすんのか、わからんやん。そう言えば、今年度の体制とか異動してきた人のちゃんとした名前とか年間行事計画書ももらってへんで。管理職も担当も、ちゃんと配れよ。
部屋はとても寒い。14度、とか16度とか、そんな世界。担任の先生たちは動き回っているし大声で喋っているからわからんやろうけど。帰宅すると2時間くらい体が暖まらない。わたしも担任のときそれに気づかなくて、支援の先生に指摘してもらったことがある。
支援の必要な学年が中学校へ行くタイミングで、支援員のキャリアのためとか言って中学校へ支援員を継続させようとするのどうなん。キャリアなんか決めるの本人やし、第一、卒業して、新しい進路に、また同じ支援員いて欲しいか、って話。子どもの気持ち、わかってへんやろ。
何より、授業おもろないで。子どもら、いつ行ってもは〜って白目剥いてるやん。しっかり取り組むようになったんじゃなくて、子どもらが根負けして、諦めたんやって。そリャ、わたしかて他人のこと言えんかもしれんけどな、ずっと白目はさせへんかったで。
それから、給料、安いわ。
さらにさらに、支援対象の子が今どんな様子とか、家庭の環境が変わったのとか、新たに相談にかける人は誰とか、全然わからへん。「先週の金曜日なんかあったらしいですよ」と別の支援員が教えてくれて、何があったん、と聞き出してようやくわかるとか。個別対応の仕方もわかってるのはやってる支援コーディネーターだけやで。その子のこと全部わかってます責任持ちます前から知ってましたみたいな顔すんなや。それに、そういう取り出しとかのための支援員とちゃうんか。まあ、我々はそういう扱いってことやな。
そんなこんなことが積もり積もって、蕁麻疹、止まってません。
突然の臨時休業で、来週前半の仕事はキャンセルに。
後日再開したときのために、限られた出勤時間をキープするのだそうな。
折も折、文部科学省からは、自宅学習で効果を認められる場合は改めて授業をしなくてもよいとの通知。
既に授業時間数確保も無理しないでよいと言っている。
もしかして、前半、このまま仕事ないかもね……。
もちろん、子どもたちがいない中で、私ができることはない。(支援加配だから)
こんなときはフリーランスは困るよね……と実感する。
自分の働き方を自分で決められる……それは仕事があるときの話。
まあそうそうない世界的な危機ですので、じっとしてます。
それにしても、歌もバンドもお休みだから、その間に、何かやろうと思います。
転んでもただでは起きひんで、と自分に言い聞かせる日々。
時事や政治的な話題は取り上げないでおこうと思っていたが、あまりに馬鹿馬鹿しいから叫ぶことにする。
全国一斉に休校て、なに。
学校では感染症が流行しやすいということは認める。どんなに気をつけても、毎年インフルエンザは流行るし、感染性胃腸炎はあっという間に低学年の子どもたちに下痢と嘔吐を引き起こした。だから、医学的知見がはっきりしていない新型コロナ肺炎に対して、必要とあらば閉鎖の措置をとることはアリだと思っている。
しか〜し!
今日わたしは午後5時まで職場にいて。
そのニュースは帰宅してから聞いた。おそらく今、教育委員会も、学校現場も、大混乱しているはずだ。1ヶ月という夏休み並みに長い休校まで明日1日しかない。準備ができない。
そもそも、なぜ学校なのか。
子どもたちの話を聞いていると、インフルでは、友達からうつることもあるが、「家の人がインフルで」ということも結構ある。保護者が職場や通勤でもらってきたものが子どもたちにうつる、ということだ。ということはつまり、学校だけが閉鎖されても、大人たちの動きを止めない限り感染は広がる。もちろん学校は閉鎖されても職員は出勤だ。
保育所や学童保育は実施って…それなら学校を閉鎖する意味ないやん。それで仕事をしている保護者に配慮したつもりなんだろうか。考えたの誰か知らないけど、何にも知らんな。
急にそんな長期間の閉鎖になると、困る保護者はほんとにたくさんおられる。「シフトがひと月前に決まるから行事は早めに知らせて」という保護者も多い。インフルエンザの子が増えて急遽給食後帰宅させるとなったときも、必ず家に誰かいるか確かめる。要望があれば、お迎えまで学校で待機してもらっている。我が家も、インフルやら大雪やらで急に休校となったときには、実家の両親が助けてくれたからなんとかなったが、近くにそういう人がいないときはほんまに困る。
それに、センシティブな課題を抱える子どもたちは、家庭で十分にケアしてもらえないこともありえる。
長期休暇が明けると痩せて登校してくる子どもや、満たされない気持ちで登校してきて学校で元気を取り戻して帰っていく日々を送る子どもたちにとって、学校はセーフティネットなのだ。
学校行事の縮小や実施見合わせは、必要ならすればいい。授業時間数確保、そんなことを大事だとは思ってない。でも、準備もなにもなく、はい月曜日から春休みです、ってありえへん。クルーズ船内で感染を閉じ込めることができなかったのは明白なのだから、次の段階に入らねばならないというなら、最前線に情報が必要だろ?思いつきでもの言うな。ほんま、想像力が足りんやん。インスタントなものの見方ばっかりしてるから、多面的にものが見られてへんやん。言うのは簡単やけど振り回されるのは現場や。
ああああ まだ言い足りないけど、これくらいにする。これでも随分大人しく書いたんやで。
職場では、うるさいおばはんだと、自覚している。
おしゃべりという意味ではなくて、文句言い、ということ。わたし自身は、納得できないことはやらないしモノ申すから、いろんな人にうっとおしがられていると思っている。
市内で、殺人事件があった。犯人はまだわかっていない。
それで、低学年の子どもたちの下校時にパトロールをお願い、と職場の若者が管理職から頼まれたらしい。でも、6時間目には担当の学習があるしどうしようと困っていた。
まずは、そのパトロールが教職員の仕事か、と言う話。
さらに、授業あるのに、行かせるんかい、という話。
そしてそして、うるさいおじさんおばはん(もう1人モノ申す人がいるんで)には言わないで言うことをききやすい若者に行かせるんかい、という話だ。それって、筋通ってへんやん。
こんなことをぶつぶつ言うから、うるさいおばはんなんやんな。自覚はありますとも。
今年の夏、教員免許状更新。その実録。
職場の管理メールで、北朝鮮のミサイル発射時の対応についての情報が流された。
翌日の教室で、1年生の子どもたちが、無邪気な顔で口々に言った。
「せんせい、きたちょうせんがばくだんはっしゃするんやろ?」
「きたちょうせんって、わるいくになんやな」
ウンドウカイなる行事が、先週終わった。
正直に言うと、ホッとしている。なぜなら、大音量で音楽がたれ流される期間が過ぎたから。
ウンドウカイに向けての期間中は、それこそ朝から晩まで音楽がどこかで鳴っていた。以前はそれを「浪費だ」と感じることもなかった。けれども、一旦ダウンして別の目で現場を見るようになった身には、それは異常に感じてしまう。
それに、今流行の妖怪**などは、「振り付けしてありますよ、どうぞ使ってねっ」という魂胆が透けて見える。隣のガッコでも同じ曲。教育**で取り上げられた曲は、海外の日本人学校でも同じ振り付けでやっているというくらい。
かわいそうな音楽たちだなあ。「見せる」ために浪費されている。
こんなふうに書きながら、だんだん偏屈者になってるかも…と思う金木犀の秋です。